2月11日『マルグリット』マチネ感想 何も言えねえ!(本当)
あの感動を早く文字に…と意気込んでいたら途端に仕事が立て込んでしまい、途方にくれたピラ政です。
結局『マルグリット』観劇当日の11日は、こんな数字久々に見たよ!ってぐらいのご訪問を頂きました。
『マルグリット』で検索してご訪問頂いた方、重ねて御礼申し上げます。
さて本題。
『マルグリット』を観ようと思ったのは、大多数の方がそうかと思いますが、
春野寿美礼さん(以下、「オサさん」)宝塚卒業後の初舞台、・・・が理由でした。
しかし!
私は一幕目途中から、この芝居に出ている役者の出自がどうでもよくなっていました。
正確に言うと役者ではなく、話そして人の生き様を見た。
…ダメだ、これ以上いい言葉が思いつかない。
久々にうまく言葉にできない感覚を味わいました。
以下の感想、ネタばれしてますのでこれからご覧になる方はご注意ください。
「出自がどうでもよくなった」とは書きましたが、皆さん過去に培われたものを惜しみなく舞台で再生されていたと思います。
この意味では、オサさんはさすが!の一言に尽きます。
元ジェンヌの役者さんの最大にして長所たる特徴は「静止した時の姿」だと思ってやまない私ですが、…凄すぎました。
静止した時の姿勢はもちろんですが、後ろを向いてから肩越しに振り返る時の存在感の大きさと言ったらそれはそれは…、筆舌に尽くし難いほどでした。
どこにいてもどんな体勢でも絵になる役者って、本当にいるんだなあと思いました。
対してアルマンの田代万理生さん。『マルグリット』がミュージカル初舞台だそうです。
忌憚なく感想を書けば「素晴らしい」とはまだ言えません。
が、「素敵」なアルマンでした。
彼に足りないのは台詞部分のテクニックと場数だけ思います。
…まあ要するに、一生に一度はあんな風に想われてみたいもんだと、久々にときめいちゃったってことですよ(照)。
オットーの寺脇さん。
舞台どころかテレビでもろくにお目にかかっていないので、実質今回が初見です。
ファンの方には大変申し訳ありませんが正直に申し上げます。
歌以外は実に安心して観ていられました。
その歌も、他のキャストが揃いも揃って歌える方々ばかりだから、お気の毒と言えばお気の毒です。
台詞はさすが!と唸りながら観てました。
と言うか、台詞じゃなくて「言葉」でした。
舞台育ちの役者が真価を発揮するのは、やはり舞台なのでしょう。
あと舌を巻いたのは、アルマンを含めたジャズバンドご一行様の連帯感。
アルマン、アネット、ルシアン、ピエロのカルテット内での会話は、
「これは相当時間外の稽古をしているのでは…」と思うぐらい自然でした。
これは必見の価値があります。
ここから先はしばらく余談。
で、アネットの飯野めぐみさん。
もしかして、あの「オズ陛下」な飯野さんの身内の方でしょうか。
顔がよく似ているのよね。しかも四季の研究所にいらしたそうだし。
推測が当たっているなら、「ジャズタイム」での素敵な歌唱力はお母さん譲りかしら。
アンサンブルにものすごく台詞が聴きとりやすくて素敵なバリトンボイスの方がいらっしゃいました。
プログラムでお名前を確認したら「守谷譲」さん、元四季の方でした。
ああやっぱりなあ…と思いながら顔写真をよくよく見てみたら、私は在団中お目にかかっていませんが、この方はムッシュー・フィルマンやオールドデュトロノミーや『李香蘭』の裁判長をされていた佐川さんなのでは…。
以上のお二方、間違っていたらゴメンなさい。
しかし間違いないレベルで感想を述べるなら、四季の影響力は凄いと思いました。
余談終了。
オサさんと万理生さんのキャリアや年齢の差があったにせよ、それを超えた「現実味」がありました。
イギリスの空襲があった直後にマルグリットとアルマン二人きりになった直後から、
自分がいるのは赤坂ACTシアターの客席ではなく、パリのオットーの屋敷の大広間の気がしてなりませんでした。
実はこの前の場面でマルグリットが歌手だった時の持ち歌「チャイナドール」をアルマンが助け舟として弾きだすところがありまして、そこで既に滝のような涙を流した私。
この後の展開もまったく知らないまま旋律の美しさと歌詞の切なさに涙したわけですが、次に観た時はどうなることやら。
次回はイントロだけで涙腺が緩むだろうと確信してやみません。
一幕目後半で一旦逢うことを拒んだマルグリットがアルマンの家を訪れるところなどは、下世話な言葉で言うとツボにはまりまくりでした。
まず「私よ。…マルグリット」と声だけで訪問したことを知らせたところ。
その声はアルマンに惹かれていることを隠しもしていない女の声。
またその声を聴いたアルマンの、全身から沸き立つような感情。
そして開いたドアの向こうに姿を現すマルグリット。
…今こうやって書いているだけで、また涙が出てきます。
二幕目、アルマンとの「仲」がオットーにバレた時のマルグリットが、オットーに言われるままにアルマン宛の手紙を書くところ。
「断腸の思い」とは正にこのことかと、観ている自分も辛かった。
カウントダウンパーティーで再会したマルグリットとアルマンの動揺と、そして互いを思いやる心はわずか一瞬ながらでも濃密に感じとれて。
最後の場面はアルマンが登場した瞬間に、前が見えなくなるぐらい泣きました。
以後、幕が閉まるまで涙は止まらず。…両隣の方ゴメンなさい。
マルグリットは何もかも奪い取られてしまったけれど、アルマンだけがマルグリットの「味方」であり、真に結ばれる人間だった。
その関係は、辛い時期を共に過ごしたバンドのメンバーをもだまらせるほどであった。
『マルグリット』を悲劇と捉えるかどうかは、観た人によると思います。
私ですか?マルグリットとアルマンを羨ましいと思いましたよ
あんな人間関係を体験できるなら人生真剣に生きる価値はある…、そんな気になります。
ここまで読んで観ようかどうか迷っている方へ。
観て損はありません!と断言します。
それからプロローグ場面はしっかり覚えておいてください。
私も今考えているのは、3月の日生はいつなら行けるかなあ…ということ。
最後に。
オサさんが姫抱っこされる姿を見ようとは、夢にも思いませんでした。
…とうこさんもいずれ、そんなお姿を見られるのでしょうか。
結局『マルグリット』観劇当日の11日は、こんな数字久々に見たよ!ってぐらいのご訪問を頂きました。
『マルグリット』で検索してご訪問頂いた方、重ねて御礼申し上げます。
さて本題。
『マルグリット』を観ようと思ったのは、大多数の方がそうかと思いますが、
春野寿美礼さん(以下、「オサさん」)宝塚卒業後の初舞台、・・・が理由でした。
しかし!
私は一幕目途中から、この芝居に出ている役者の出自がどうでもよくなっていました。
正確に言うと役者ではなく、話そして人の生き様を見た。
…ダメだ、これ以上いい言葉が思いつかない。
久々にうまく言葉にできない感覚を味わいました。
以下の感想、ネタばれしてますのでこれからご覧になる方はご注意ください。
「出自がどうでもよくなった」とは書きましたが、皆さん過去に培われたものを惜しみなく舞台で再生されていたと思います。
この意味では、オサさんはさすが!の一言に尽きます。
元ジェンヌの役者さんの最大にして長所たる特徴は「静止した時の姿」だと思ってやまない私ですが、…凄すぎました。
静止した時の姿勢はもちろんですが、後ろを向いてから肩越しに振り返る時の存在感の大きさと言ったらそれはそれは…、筆舌に尽くし難いほどでした。
どこにいてもどんな体勢でも絵になる役者って、本当にいるんだなあと思いました。
対してアルマンの田代万理生さん。『マルグリット』がミュージカル初舞台だそうです。
忌憚なく感想を書けば「素晴らしい」とはまだ言えません。
が、「素敵」なアルマンでした。
彼に足りないのは台詞部分のテクニックと場数だけ思います。
…まあ要するに、一生に一度はあんな風に想われてみたいもんだと、久々にときめいちゃったってことですよ(照)。
オットーの寺脇さん。
舞台どころかテレビでもろくにお目にかかっていないので、実質今回が初見です。
ファンの方には大変申し訳ありませんが正直に申し上げます。
歌以外は実に安心して観ていられました。
その歌も、他のキャストが揃いも揃って歌える方々ばかりだから、お気の毒と言えばお気の毒です。
台詞はさすが!と唸りながら観てました。
と言うか、台詞じゃなくて「言葉」でした。
舞台育ちの役者が真価を発揮するのは、やはり舞台なのでしょう。
あと舌を巻いたのは、アルマンを含めたジャズバンドご一行様の連帯感。
アルマン、アネット、ルシアン、ピエロのカルテット内での会話は、
「これは相当時間外の稽古をしているのでは…」と思うぐらい自然でした。
これは必見の価値があります。
ここから先はしばらく余談。
で、アネットの飯野めぐみさん。
もしかして、あの「オズ陛下」な飯野さんの身内の方でしょうか。
顔がよく似ているのよね。しかも四季の研究所にいらしたそうだし。
推測が当たっているなら、「ジャズタイム」での素敵な歌唱力はお母さん譲りかしら。
アンサンブルにものすごく台詞が聴きとりやすくて素敵なバリトンボイスの方がいらっしゃいました。
プログラムでお名前を確認したら「守谷譲」さん、元四季の方でした。
ああやっぱりなあ…と思いながら顔写真をよくよく見てみたら、私は在団中お目にかかっていませんが、この方はムッシュー・フィルマンやオールドデュトロノミーや『李香蘭』の裁判長をされていた佐川さんなのでは…。
以上のお二方、間違っていたらゴメンなさい。
しかし間違いないレベルで感想を述べるなら、四季の影響力は凄いと思いました。
余談終了。
オサさんと万理生さんのキャリアや年齢の差があったにせよ、それを超えた「現実味」がありました。
イギリスの空襲があった直後にマルグリットとアルマン二人きりになった直後から、
自分がいるのは赤坂ACTシアターの客席ではなく、パリのオットーの屋敷の大広間の気がしてなりませんでした。
実はこの前の場面でマルグリットが歌手だった時の持ち歌「チャイナドール」をアルマンが助け舟として弾きだすところがありまして、そこで既に滝のような涙を流した私。
この後の展開もまったく知らないまま旋律の美しさと歌詞の切なさに涙したわけですが、次に観た時はどうなることやら。
次回はイントロだけで涙腺が緩むだろうと確信してやみません。
一幕目後半で一旦逢うことを拒んだマルグリットがアルマンの家を訪れるところなどは、下世話な言葉で言うとツボにはまりまくりでした。
まず「私よ。…マルグリット」と声だけで訪問したことを知らせたところ。
その声はアルマンに惹かれていることを隠しもしていない女の声。
またその声を聴いたアルマンの、全身から沸き立つような感情。
そして開いたドアの向こうに姿を現すマルグリット。
…今こうやって書いているだけで、また涙が出てきます。
二幕目、アルマンとの「仲」がオットーにバレた時のマルグリットが、オットーに言われるままにアルマン宛の手紙を書くところ。
「断腸の思い」とは正にこのことかと、観ている自分も辛かった。
カウントダウンパーティーで再会したマルグリットとアルマンの動揺と、そして互いを思いやる心はわずか一瞬ながらでも濃密に感じとれて。
最後の場面はアルマンが登場した瞬間に、前が見えなくなるぐらい泣きました。
以後、幕が閉まるまで涙は止まらず。…両隣の方ゴメンなさい。
マルグリットは何もかも奪い取られてしまったけれど、アルマンだけがマルグリットの「味方」であり、真に結ばれる人間だった。
その関係は、辛い時期を共に過ごしたバンドのメンバーをもだまらせるほどであった。
『マルグリット』を悲劇と捉えるかどうかは、観た人によると思います。
私ですか?マルグリットとアルマンを羨ましいと思いましたよ
あんな人間関係を体験できるなら人生真剣に生きる価値はある…、そんな気になります。
ここまで読んで観ようかどうか迷っている方へ。
観て損はありません!と断言します。
それからプロローグ場面はしっかり覚えておいてください。
私も今考えているのは、3月の日生はいつなら行けるかなあ…ということ。
最後に。
オサさんが姫抱っこされる姿を見ようとは、夢にも思いませんでした。
…とうこさんもいずれ、そんなお姿を見られるのでしょうか。
by piramasa
| 2009-02-15 23:16
| 芝居感想