私にも過去がある
鴻上尚史新劇団旗揚げ
学生時代から通算して、第三舞台の芝居を3回観た。当時の第三舞台は「超」がつくほどの人気劇団でそれこそ「プラチナチケット」と呼ぶにふさわしく、チケットがとりづらかった。インターネットが普及する前だったのでチケットを取る手段と言えば劇場に並ぶ。これしかない。人気劇団の前売は整理券が出たりしたが、第三舞台は前売初日の何日も前から並ぶ人が後を立たなかったので、「整理券のための整理券」が出たと(並んでくれた)先輩から聞いた。
封印直前の芝居は「朝日のような夕日をつれて」。
私はこれの1991年度版を観た。この際トシがバレるなんて言ってられない。あまり芝居を見慣れていない時期だったので、覚えていることと言ったら「キャストが大高洋夫・小須田康人・勝村政信・筧利夫・京晋祐、今考えたら贅沢!」、「筧さん『かぶりもの』役者を脱出」「代わりに京さんいじられすぎ」「場所は新宿の紀伊国屋劇場」、そして「とにかく凄かった!」…、こんなもの。
※私ぐらいの世代で小劇場系の芝居を観ている人間にとって、勝村さんや筧さんがあそこまでメジャーになるとは「想定の範囲外」だったのです。
そうか、鴻上さんもさすがに何かやりたくなったのか。
どんなに人気が出ても、劇場入口で地味派手に挨拶している鴻上さん。※サンシャイン劇場で公演するようになっても入口にさりげなくいた。
すべてのパンフレットの中に大学ノートに書いた「ご挨拶」(直筆)のコピーをはさんでくれた鴻上さん。
客の視線まで考えて、「すべての演出」を考える演出家に逢ったのは鴻上さんが初めてだった。
劇団の旗揚げには相当なエネルギーが必要だ。無事第1回公演までこぎつけられるようお祈りしたい。
私も、あと5歳ぐらい若ければ…とほんのちょっとだけ思った。
そして第三舞台の封印がとけるまであと5年。私は5年後何をやっているだろう。
学生時代から通算して、第三舞台の芝居を3回観た。当時の第三舞台は「超」がつくほどの人気劇団でそれこそ「プラチナチケット」と呼ぶにふさわしく、チケットがとりづらかった。インターネットが普及する前だったのでチケットを取る手段と言えば劇場に並ぶ。これしかない。人気劇団の前売は整理券が出たりしたが、第三舞台は前売初日の何日も前から並ぶ人が後を立たなかったので、「整理券のための整理券」が出たと(並んでくれた)先輩から聞いた。
封印直前の芝居は「朝日のような夕日をつれて」。
私はこれの1991年度版を観た。この際トシがバレるなんて言ってられない。あまり芝居を見慣れていない時期だったので、覚えていることと言ったら「キャストが大高洋夫・小須田康人・勝村政信・筧利夫・京晋祐、今考えたら贅沢!」、「筧さん『かぶりもの』役者を脱出」「代わりに京さんいじられすぎ」「場所は新宿の紀伊国屋劇場」、そして「とにかく凄かった!」…、こんなもの。
※私ぐらいの世代で小劇場系の芝居を観ている人間にとって、勝村さんや筧さんがあそこまでメジャーになるとは「想定の範囲外」だったのです。
そうか、鴻上さんもさすがに何かやりたくなったのか。
どんなに人気が出ても、劇場入口で地味派手に挨拶している鴻上さん。※サンシャイン劇場で公演するようになっても入口にさりげなくいた。
すべてのパンフレットの中に大学ノートに書いた「ご挨拶」(直筆)のコピーをはさんでくれた鴻上さん。
客の視線まで考えて、「すべての演出」を考える演出家に逢ったのは鴻上さんが初めてだった。
劇団の旗揚げには相当なエネルギーが必要だ。無事第1回公演までこぎつけられるようお祈りしたい。
私も、あと5歳ぐらい若ければ…とほんのちょっとだけ思った。
そして第三舞台の封印がとけるまであと5年。私は5年後何をやっているだろう。
by piramasa
| 2006-07-19 21:51
| 芝居雑記