寿初春大歌舞伎昼の部① 前半は地味派手に
『コンタクト』のケリがついたのでやっと歌舞伎の感想が書けるわ(汗)。
さて3日は歌舞伎座昼の部を観に行った。
正月興行が始まって2日目、一目で高そうとわかるお着物を着たご婦人方がいっぱいで、なかなかいい目の保養になった。
さて四季の演目はタガがはずれたかのようにS席を取ってしまう私だが、歌舞伎はいまだに上の方(=3階)で観ないと落ち着かない。
貧乏な学生時代から観続けているから、慣れちゃったと言うのもある。
それに歌舞伎の劇場は舞台の間口が広いから、あまり近くで観ると首が痛くなるのが難点。
そんなワケで今回は3階B席の中央寄り。
去年9月と12月は3階A席で観たのでB席は久しぶり。
花道七三は当然観えないが、「勧進帳」で芝翫丈(以下「神谷町」)の義経が「これやこの…」で振り返るのはよく見えた。
視線が3階B席の上手を向いていたのは神谷町のサービスかしら。
しかし11時開演とあって遅れてくる人が多かったこと。
私の座っていた列なんか、開演の時に座っていたのは私しかいなかったし…。
【松竹梅】
新しく作られた三段返しの舞踊、だそうな。
「松の巻」は在原業平と舎人、「竹の巻」は奴と雀の精が三羽?、「梅の巻」は大磯の虎と化粧坂の少将、工藤祐経の奥方梛の葉が登場。題材がおめでたいうえに色合いも華やかで楽しめました。
個人的にはチョンパで舞台にいたのが高砂屋(梅玉)だったので満足したのと、「竹の巻」の雀の精が妙に可愛らしかったのがツボでした。
衣装にも羽の模様がきちんと描きこまれていたのがまたウケる。
「梅の巻」で梛の葉が着ていた白地に墨絵のような模様を散らした衣装も素敵。
途中から扮装が「対面」の舞鶴っぽく見えて、魁春ってこの手のなりがよく似合うなあと感心しきり。
【俊寛】
「俊寛」を観るのはおそらく4回目…、のはず。
直近で観たのは5年前、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で俊寛は橋之助だった。
それより前は幸四郎で1回観たのは覚えているが、あと1回誰だっけなあ。丹左衛門が亡くなった紀伊国屋だったのは覚えているんだけど(笑)。
…と悩んで上演記録を見ると孝夫時代の仁左衛門だった。
ことほどさように若い頃は「俊寛」と言う演目に感じ入るものがなく、一時期は「俊寛」がかかると避けていたぐらいだった。
変化があったのは橋之助の俊寛を観てから。
観た理由は「橋之助も俊寛やる歳になったのか」(初役だった)と多少のミーハー心から。
しかしこの時に初めて「俊寛」で泣けた。その当時心境の変化は何もなかったので、おそらく歳をとったからかなあ…と思う。
そして平成19年1月3日。俊寛は吉右衛門(以下「播磨屋」)。初めて…のはず。
正月興行にふさわしいとは思えない演目なのに1月に上演したことが結構あるのは、ガラの違う役者が揃いやすい月だからかしら。
東蔵(以下「加賀屋」)の成経、歌昇の康頼、福助の千鳥、播磨屋の俊寛と並んでバランスがとれているのが良かった。
特に加賀屋の成経には千鳥と恋仲になるだけの色気が漂っていて、失礼ながら見直しました。女形中心の人だから当然と言えば当然。
加賀屋と言えば「金閣寺」の慶寿院も素晴らしかった。この話は夜の部の感想で書きます。
ああそれから加賀屋の成経に対して福助の千鳥がデカっ(笑)!
旬のカップルで言うと●香と陣●(歌舞伎の吉例により女性を先に)のような…とでも申しましょうか。
前にも書きましたが、昔私は福助の声が苦手でした。今は全然違和感なく観られます。その経緯も夜の部の感想に書きます。←この話は長いよ(宣言)。
バランスがいいと言えば瀬尾太郎の段四郎、…いいですね!敵役やらせたら最高です。
もっとも敵役がいい役者は素は温厚な人が多いそうで、この人はその典型だそうな。
余談ですが知らない方のために。亀治郎くんの父上でもあります。
観ていて一番ハラハラしたのは丹左衛門の富十郎(以下「天王寺屋」)。
開いて2日目だったためか、台詞が入ってませんでした…。
聞けば初役だそうです。他の役で何回も出ていたはずなのに…?
年齢のせいにしないで頂ければ思うが、きめどころの「見ても見ぬふり知らぬ顔」と、最後に扇をかざして引っこむ所はさすが!の一言に尽きる。
さあ肝心の播磨屋に参りましょう。
若い頃「俊寛」と言う演目が苦手だった理由の第一は「年齢」だと思っている。
そして第二の理由はその若い頃に俊寛を幸四郎で観たこと。
間の取り方が「歌舞伎の間」ではなかったのが影響しているかと思う。
これは「勧進帳」の感想で詳しく書きます。…今月の歌舞伎座は熱く語りたいことが多くて困る。
こう前置した上で播磨屋の俊寛の感想。
かねがね丸本物における播磨屋は間の取り方が長からず短からずちょうどいいと思っていたが、俊寛も正にその典型だった。
かなり本行(「俊寛」は元々人形浄瑠璃なので、その原本のこと)を勉強しているとお見受けした。だから舞台では必要最低限の動きで最大限の芝居ができる…、とは言いすぎかしら。
私の泣きどころは自分の代わりに千鳥をご赦免舟に乗せた後、竹本の「互いに未来で」の後に「未来で」と叫ぶところ。
この時代に京の都から遠く離れた島でまた離れ離れになるとは、今生の別れに等しいと言うこと。涙もさることながら鼻水が出すぎました…。
竹本は清太夫、喉と腹の中間ぐらいから出ているような独特の声は健在のようで何より。このタイプの声はこんな人間臭い場面を唸らせると涙腺に直撃だわねえ。
「思い切っても凡夫心」のあたりは3階席を取って正解だった。
「装置が演技」していました。何度観てもあの波布の動きはスゴイ!
ところで「おぉーい、おぉぉーい」で舞台真ん中正面を向くところは拍手すべきところなのかなあ。ちょっと疑問に思った。
最後に舞台が廻って松の木が正面を向いたところ、俊寛が手をかけた松の枝が音を立てて折れるのに今回初めて気がついた。
どなたかは存じあげないが、このやり方を初めてやった役者の感性が素晴らしいと思う。
魂が抜けたように座りつくす俊寛の姿に、また鼻水が出る勢いで泣いた私でした。
…お腹が減ったから3階のカレーは食べに行きましたがね(苦笑)。
もうちょっと簡潔にまとめられないかと思いつつ、歌舞伎は四季以上に歴が長いものですから、観ながら相当色々思い出してしまうのです。
そんなワケで「勧進帳」と「喜撰」はエントリーを改めます。
…つうか「勧進帳」はモノ申したいことが多すぎます。これも歴だけは長いがゆえのこと…。
さて3日は歌舞伎座昼の部を観に行った。
正月興行が始まって2日目、一目で高そうとわかるお着物を着たご婦人方がいっぱいで、なかなかいい目の保養になった。
さて四季の演目はタガがはずれたかのようにS席を取ってしまう私だが、歌舞伎はいまだに上の方(=3階)で観ないと落ち着かない。
貧乏な学生時代から観続けているから、慣れちゃったと言うのもある。
それに歌舞伎の劇場は舞台の間口が広いから、あまり近くで観ると首が痛くなるのが難点。
そんなワケで今回は3階B席の中央寄り。
去年9月と12月は3階A席で観たのでB席は久しぶり。
花道七三は当然観えないが、「勧進帳」で芝翫丈(以下「神谷町」)の義経が「これやこの…」で振り返るのはよく見えた。
視線が3階B席の上手を向いていたのは神谷町のサービスかしら。
しかし11時開演とあって遅れてくる人が多かったこと。
私の座っていた列なんか、開演の時に座っていたのは私しかいなかったし…。
【松竹梅】
新しく作られた三段返しの舞踊、だそうな。
「松の巻」は在原業平と舎人、「竹の巻」は奴と雀の精が三羽?、「梅の巻」は大磯の虎と化粧坂の少将、工藤祐経の奥方梛の葉が登場。題材がおめでたいうえに色合いも華やかで楽しめました。
個人的にはチョンパで舞台にいたのが高砂屋(梅玉)だったので満足したのと、「竹の巻」の雀の精が妙に可愛らしかったのがツボでした。
衣装にも羽の模様がきちんと描きこまれていたのがまたウケる。
「梅の巻」で梛の葉が着ていた白地に墨絵のような模様を散らした衣装も素敵。
途中から扮装が「対面」の舞鶴っぽく見えて、魁春ってこの手のなりがよく似合うなあと感心しきり。
【俊寛】
「俊寛」を観るのはおそらく4回目…、のはず。
直近で観たのは5年前、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室で俊寛は橋之助だった。
それより前は幸四郎で1回観たのは覚えているが、あと1回誰だっけなあ。丹左衛門が亡くなった紀伊国屋だったのは覚えているんだけど(笑)。
…と悩んで上演記録を見ると孝夫時代の仁左衛門だった。
ことほどさように若い頃は「俊寛」と言う演目に感じ入るものがなく、一時期は「俊寛」がかかると避けていたぐらいだった。
変化があったのは橋之助の俊寛を観てから。
観た理由は「橋之助も俊寛やる歳になったのか」(初役だった)と多少のミーハー心から。
しかしこの時に初めて「俊寛」で泣けた。その当時心境の変化は何もなかったので、おそらく歳をとったからかなあ…と思う。
そして平成19年1月3日。俊寛は吉右衛門(以下「播磨屋」)。初めて…のはず。
正月興行にふさわしいとは思えない演目なのに1月に上演したことが結構あるのは、ガラの違う役者が揃いやすい月だからかしら。
東蔵(以下「加賀屋」)の成経、歌昇の康頼、福助の千鳥、播磨屋の俊寛と並んでバランスがとれているのが良かった。
特に加賀屋の成経には千鳥と恋仲になるだけの色気が漂っていて、失礼ながら見直しました。女形中心の人だから当然と言えば当然。
加賀屋と言えば「金閣寺」の慶寿院も素晴らしかった。この話は夜の部の感想で書きます。
ああそれから加賀屋の成経に対して福助の千鳥がデカっ(笑)!
旬のカップルで言うと●香と陣●(歌舞伎の吉例により女性を先に)のような…とでも申しましょうか。
前にも書きましたが、昔私は福助の声が苦手でした。今は全然違和感なく観られます。その経緯も夜の部の感想に書きます。←この話は長いよ(宣言)。
バランスがいいと言えば瀬尾太郎の段四郎、…いいですね!敵役やらせたら最高です。
もっとも敵役がいい役者は素は温厚な人が多いそうで、この人はその典型だそうな。
余談ですが知らない方のために。亀治郎くんの父上でもあります。
観ていて一番ハラハラしたのは丹左衛門の富十郎(以下「天王寺屋」)。
開いて2日目だったためか、台詞が入ってませんでした…。
聞けば初役だそうです。他の役で何回も出ていたはずなのに…?
年齢のせいにしないで頂ければ思うが、きめどころの「見ても見ぬふり知らぬ顔」と、最後に扇をかざして引っこむ所はさすが!の一言に尽きる。
さあ肝心の播磨屋に参りましょう。
若い頃「俊寛」と言う演目が苦手だった理由の第一は「年齢」だと思っている。
そして第二の理由はその若い頃に俊寛を幸四郎で観たこと。
間の取り方が「歌舞伎の間」ではなかったのが影響しているかと思う。
これは「勧進帳」の感想で詳しく書きます。…今月の歌舞伎座は熱く語りたいことが多くて困る。
こう前置した上で播磨屋の俊寛の感想。
かねがね丸本物における播磨屋は間の取り方が長からず短からずちょうどいいと思っていたが、俊寛も正にその典型だった。
かなり本行(「俊寛」は元々人形浄瑠璃なので、その原本のこと)を勉強しているとお見受けした。だから舞台では必要最低限の動きで最大限の芝居ができる…、とは言いすぎかしら。
私の泣きどころは自分の代わりに千鳥をご赦免舟に乗せた後、竹本の「互いに未来で」の後に「未来で」と叫ぶところ。
この時代に京の都から遠く離れた島でまた離れ離れになるとは、今生の別れに等しいと言うこと。涙もさることながら鼻水が出すぎました…。
竹本は清太夫、喉と腹の中間ぐらいから出ているような独特の声は健在のようで何より。このタイプの声はこんな人間臭い場面を唸らせると涙腺に直撃だわねえ。
「思い切っても凡夫心」のあたりは3階席を取って正解だった。
「装置が演技」していました。何度観てもあの波布の動きはスゴイ!
ところで「おぉーい、おぉぉーい」で舞台真ん中正面を向くところは拍手すべきところなのかなあ。ちょっと疑問に思った。
最後に舞台が廻って松の木が正面を向いたところ、俊寛が手をかけた松の枝が音を立てて折れるのに今回初めて気がついた。
どなたかは存じあげないが、このやり方を初めてやった役者の感性が素晴らしいと思う。
魂が抜けたように座りつくす俊寛の姿に、また鼻水が出る勢いで泣いた私でした。
…お腹が減ったから3階のカレーは食べに行きましたがね(苦笑)。
もうちょっと簡潔にまとめられないかと思いつつ、歌舞伎は四季以上に歴が長いものですから、観ながら相当色々思い出してしまうのです。
そんなワケで「勧進帳」と「喜撰」はエントリーを改めます。
…つうか「勧進帳」はモノ申したいことが多すぎます。これも歴だけは長いがゆえのこと…。
by piramasa
| 2007-01-10 22:48
| 芝居感想