『摂州合邦辻』感想② 「女形」ではなく「女」
国立劇場の天ぷらそばは海老天1本と野菜のかき揚げに三つ葉がのって900円。
そばは歌舞伎座よりちょっと太めだが、おだしが丁寧にとってあって美味しかった。
お隣の席では、おじいさんと言っても差しつかえなさそうな男性がお銚子を傾けながら同じく天ぷらそばを召し上がっていた。
そばで一杯とは粋ですねえ。私も日本酒が飲めたら一度はやってみたいもんだ。
それにひきかえ17日の幕間で食べたものと言えば、地元のデパ地下で買ったおにぎり2個…。
おかげでその後行った歌舞伎座で、「九段目」の芝翫丈の熱演に涙しながらお腹の虫が泣くと言う恥ずかしい事態に陥ったのでありました。
さて間が空いてしまいましたが『摂州合邦辻』の感想続きをば。
その前に前回の感想で間違ったことを書いてしまいました。
玉手と羽曳野の立回りの時、玉手の頭を「片はずし」と書いたのですが、17日によくよく確認したら「島田」でした。
脇の羽曳野が「片はずし」なのに、主役が同じ髪型にするわけないわな…。
【三幕目 天王寺南門前~万代池】
奴さんの姿がヤケにお似合いの翫雀丈に訳もなくウケながらも、「あら、この人あんなにちんちくりんだったかしら?」と大変失礼なことを思うワタクシ。
翫雀丈演ずる奴さんの名前は入平、俊徳丸の許嫁である浅香姫の家来であり、俊徳丸を追ってこれまた出奔した浅香姫を探しにやってきた。
そこへ閻魔様の頭を乗せた荷車を曳いた年寄りの坊さんが登場。
この坊さんが誰あろう、玉手の父である合邦道心(以下「合邦」)。
…まあ、話がうまくできていること(笑)。
合邦の我當丈もかなりお久しぶりに拝見したが、…あらー、さすがにお年を召したわね。
昔はバリバリした声だったのに、すっかり声にハリがなくなっちゃったこと。
それともこの芝居、この役だから、ああいう声なのかしら。
でもその分枯れた…、いや飄々とした雰囲気が実にお見事。
さて天王寺門前から舞台が回るとそこは万代池のほとり。上手にはいわくありげな「かまぼこ小屋」が。
白梅の咲いた木があるから、時期は3月頃と言うことですね。
そこへ目も見えなくなり、すっかりヨレヨレな風体になった俊徳丸登場。
…ヨレヨレと言っても歌舞伎の常ですから、そこは手の込んだボロ着物をお召しでございます。
そうですね、お高そうな布地を使ったパッチワークの着物…と書けば想像つくかと。
覚悟の出奔をしたものの、父を思い浅香姫を思って嘆く俊徳丸に、ハラハラと散りかかる白梅の花。ここの三津五郎が実にいい役者ぶりでウットリしました。
ご自分で「僕は絶世の美男子ではないから…」(筋書より)とおっしゃるし、事実そのとおりなのだが(失礼)、
あの役者ぶりは「身体に蓄積されたものがにじみ出ている」と表現するのがふさわしかった。
正に「芸」ですね。
そこへ都合よく…、もとい、浅香姫が花道から登場。旅支度ではなく赤姫の姿で登場するのがいいですね。
許嫁を追って家出するぐらいのお嬢様だものね。
浅香姫は扇雀丈、…うーん、相変わらず大柄な方ですこと(苦)。
三津五郎さんと並ぶと特にそれが目立って…(殴)。
面相が変わったとて俊徳丸に気がつかないとは、アナタ本当に許嫁ですか…と言うツッコミはさておき、そこはうまいこと後から追いついた入平が機転を利かせて、二人は無事再会を果たすのでありました。
ここの俊徳丸の愁嘆で2回目のもらい泣き。
…昔は愁嘆場であまり泣かなかったんだけどなあ。
トシをとったのか、それとも三津五郎の芸にやられたか。
しかしそこへまたしても邪魔が入ります。
なぜか忽然と現われる俊徳丸の腹違いの兄(説明くさっ!)次郎丸が!
しかも浅香姫に横恋慕までしていると言う、絵に描いたようなありがちな話。
ところが入平一人でてこずっているところへ、先程の合邦道心が登場して次郎丸を池に投げ込む!
強いぞ、じじい!…いや、坊さん!
筋書きを確認すると、「元は武士」と言う設定ですって。…強いはずですよ。
尻端折りして花道を引っ込む我當丈が楽しそうに見えたのは私だけではないでしょう。
それより合邦の相棒?、「閻魔様の頭を乗せた荷車」にさらに俊徳丸を乗せて浅香姫が引っ張る姿はなかなかに…面白いものでした。
説経節を踏まえた芝居だからこの趣向を「面白い」と言うのも変なのですが、なにせ浅香姫の格好が赤姫だからねえ…。
時折ホロリとしながらも、この幕まではなんとか「めでたしめでたし」で幕が閉じます。
…しかし『摂州合邦辻』、大詰でまたどんでん返しがあります。
【大詰 合邦庵室】
先に白状します。
実は11日・17日ともに、最大の見せ場であるこの幕で思いっきり舟を漕いでしまいました。
それでも玉手が花道から出てくる直前と、玉手が俊徳丸を口説き始めるあたりで目が覚めるあたり、我ながらツイているとしか言いようがありません。
だってさー、幕が開いてから玉手が出てくるまでが長すぎるんだもの!
言い訳はさておき、実に「濃い」一幕でした。
まず上村吉弥さんのおとくが、とても上品なお婆ちゃんで素敵…。
まあ吉弥さん自身がまだまだキレイだしねえ。
この一座に老け役の女形さんがいないのが悲しいところで、本来なら羽曳野が回ってもおかしくないだろうなあ。
と言うか、この人の俊徳丸大アリだと思う。
さてこの幕はなんと言っても藤十郎(以下「山城屋」)に尽きる。
「しんしんたる夜の道」で出てきたのが山城屋の玉手御前、残念ながら今回は「自分の生家へ続く道」ではなく「花道」に見えてしまったが、暗闇は見えたのがさすがだなと思う。
今来た道を振り返って様子を伺うのは誰かに後をつけられているからだろうか。
でも私には、庵室の門口に吊るされた灯に誘われて…と言う印象が残った。
実を言うと丸本物の山城屋はちょっと苦手でした。
気取った言い方をすると「糸に乗りすぎな芝居をする人」、
嫌な言い方をすると「クサい芝居する人」と言うイメージがありまして。
ところが玉手は全編通して違った。
筋書きの談話を拝見すると若い時に本行(人形浄瑠璃の台本)からお稽古をされた演目のようで、なるほどねえ…と納得しました。
なにしろ無駄な動きがほとんどない。
それでいながら俊徳丸を恋い慕う十九二十歳の女の心根、浅香姫への激しい嫉妬…。
そう言った女の情念が、3階の上の方の席に座っていても映画のクローズアップを見ているかのように眼前に迫ってきた。
「怒る目元は薄紅梅」で浅香姫に迫る姿など、今思い出しても身震いがするぐらい、それはそれは凄まじい嫉妬だった。
前幕の三津五郎の俊徳丸が「にじみ出る」なら、
山城屋の玉手は「それまでの修練鍛錬が凝縮された」とでも言おうか。
そしてこの方を忘れてはいけない。
「合邦庵室」で「しんしんたる夜の道…」以降を語る、竹本谷太夫。
この方は客観的には「美声」と言うより「渋い声」の持ち主だが、…まあとんでもないぐらい「女の声」でした。
それと丸本物の演目は役者か太夫のどちらかが「合わせている」印象を常に受けるのだが、役者と太夫があんなに一体化していたのを初めて観た。
「役者と太夫が一体化した」舞台の終盤で玉手が落ち入る直前、無事元の姿に戻った俊徳丸の方向へ手を伸ばして何か探ろうとしている姿を観て、ついに涙腺が緩んだ。
今わの際でほとんど何も見えなくなっているだろうに、それでも見目麗しい姿に戻った俊徳丸を一目見てから死にたいと言う女心、…切ない!
私が観た山城屋の玉手御前は、「女形」ではなく「女」だった。
そして今回は、配役が(吉弥さん以外)絶妙だった。
なんかもう、これ以上言葉が思い浮かびません。
そして感想を書きながらこんなに疲れたのは久しぶりです。
でもこんな疲れ方なら何度疲れてもいい。
…多分17日に続けて観た歌舞伎座夜の部の感想もこんな調子だと思います。
←つまりまた長くなるってことかい…。
by piramasa
| 2007-11-25 01:14
| 芝居感想